観世音体育の会

白隠さんが教えてくれた誰でも出来る健康生活

No.4 延命十句観音経を深掘りしてみよう

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富士のお山と・・・

延命十句観音経
<読み方>

かんぜーおん。なーむーぶつ。よーぶつうーいん。よーぶつうーえん。ぶっぽうそーえん。じょーらくがーじょう。ちょーねんかんぜーおん。ぼーねんかんぜーおん。ねんねんじゅーしんき。ねんねんふーりーしん。

 

<本文>

観世音  、南無仏 

与仏有因 、与仏有縁 

仏法僧縁 、常楽我常 

朝念観世音 、念観世音 

念念従心起  、念念不離心

 

 

 

延命十句観音経を少し深掘りしてみましょう。

ちなみに筆者は、禅宗の僧侶にして、漢方、鍼灸、按摩導引の使い手であります。

こういうと何か立派な人みたいですが、残念ながら、僧侶も東洋医学者としてもどちらも中途半端な人間です。ですから、お坊さん的に延命十句観音経を読むほどの知識も経験もありません。

仕方ないので、筆者のレベルで読みますから、お付き合いください。

 

筆者的には、延命十句観音経をありがたい薬だと仮定します。さてさてこの薬はどう飲んだらいいのでしょう?そんな時はまず、効能がきを読んでみますよね。飲む時の注意も必要です。

薬は用量用法を守らなければいけません。

 

 

[効能 用量用法]

 

 

原文

(観世音   南無仏)

南無(観)音菩薩という飲み薬の効能書き

 

原文

(与仏有因  与仏有縁)

観世音菩薩の観(かん)を体得するならば

良き因縁が生まれます。

 

原文

(仏法僧縁)

仏法僧の三宝による因縁生起。まさに縁起(えんぎ)

がとっても良くなります。それにより、薬の効果効能は、よりはっきりと現れます。

 

 

 原文

(常楽我淨)

それは観世音の観(かん)の世界であり、極楽世界そのものです。

 

 

原文

(朝念観世音    暮念観世音 )

用量用法は特に定めておりません。

朝でも夜でも飲んでください。

 

 

 原文

(念念従心起     念念不離心)

むしろこの薬は飲み忘れはいけません。

絶えず飲み続けてこそ効果が持続するのです。

忘れず飲もう、かんぜーおん、なーむーぶつ。

 

 観音様の特に観(かん)の優れた効果をうたう、効能書きがそのままありがたい薬になっているという仕組みです。

 

巻物の世界に似ています。必死に探し当てた秘宝のはずの巻物の中身は実に当たり前の事が書いてあったという事はよくある事だと思います。

ただし、これが解れば当たり前が当たり前ではなくなります。感動(観)をあなたに味わってもらいたい。だからあえて効能書き程度の中身にしておきました。後は、さぁおやんなさい。あなたがみずからおやんなさい。

と、これは筆者の言葉というよりも。

250年前の白隠さんに成り代わって僭越ながら拙僧が語らせていただきました。ハハハ。

白隠さんが乗り移ったついでだからもう少し調子づかせてもらおうかな。

(冗談)

 

お経を読むときは、おとなしく座って読まなければいけないなんて決まりはありません。

それでも普通に考えたら、お経は場所を選んで読んでいます。

お寺の本堂で、鳴らしものと一緒に読んだり、ご家庭のお仏壇の前で読んだりしますよね。

でも、お経を読みながら歩く儀式もあります。楞厳咒(りょうごんしゅう)というお経を読みながらお坊さんが、本堂の中を歩き回るのです。

だからというのではないですが、 この際、延命十句観音経も動中のお経という事にしてはいかがでしょうか?

 

また、そうでないと白隠さんの言う通りにできなくなるんですよ。いつでもどこでもかんぜーおん なーぶーぶつ。とやるのには場所なんか選んでいられませんし、立っていても座っていても出入りの息のその全てに延命十句が口をついて出てくるのですから、生活そのものになるわけです。

 

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達磨像 白隠画

 

悩みを軽くする薬

 

人はどこで悩むのでしょう。脳みそでしょうか?

心臓でしょうか?

お腹がシクシク痛むほどに悩む事があるからお腹かな?

多分頭で悩んでいるんだろうと思いますよ。現代医学はそう言いますよね。だから

脳みそなんじゃないのってなりますが、この悩み、どうしたら解決すると思いますか。

結論を言いましょう。まどろっこしいの嫌いだからね。答え、

それは、解決できません。むりでーーす。はい残念。

なんじゃそれ?元も子もないじゃないか。坊主はなんの為にいるんだい。整体師や、鍼灸師は役に立たんのか!

そうです。悩みの解決には、医者も、弁護士も役に立ちません。心のどこかにスペースがあって、そこに悩みが居座ります。

よしんば、なんらかの偶然で一個の悩みが消えて無くなったとします。良かった。楽になったと喜んだのもつかの間、次の日の夕方頃になると、何番めかに控えていた小さな悩みの種が、一晩で急成長して立派な悩みになっているはずです。人は、悩みたがっているわけでもないのに、何故かみんな悩んでいる。悩みとはそんな生き物です。

戦っても無駄です。共存しましょう。著者の漢方の師匠で、円覚寺の居士林で禅の修行をやりながら東洋医学の伝道師として活躍された伊藤真愚先生は、『執着しつつ無関心』という名言を残されました。

執着が悩みであり、煩悩であります。あって当たり前。無いと言ったらそいつはカスだ。君が悩んでいるとしたなら、カスで無いという証拠だよ。良かったじゃんか!

 

さてここからが大事なところですが、ちょうど時間となりました・・・

この続きは次回にします。

今日は、ここまでです。合掌