先日、白隠禅師ゆかりの地
富士市比奈にある竹取公園に行ってきました。

ここは、日本中にいくつかある竹取物語伝説発祥の地の1つとされている歴史公園です。園内には白隠禅師の墓があります。
富士市の史跡、指定文化財 となっている白隠禅師の墓には立派な説明書きがありました。
それによりますと、
臨済宗中興の祖として名高い白隠禅師は、貞享2年1685年に駿東郡原宿(現在沼津市原の豪農長沢家の三男として生まれた。15歳の時、原の松陰寺で出家し、後、師を求めて全国を行脚し、信濃国飯山で正受老人の法を継、享保6年1721年に松陰寺に戻り、そこを拠点として仏教界に新風を吹き込み、禅宗の刷新を図った。しかし禅師は高位の寺僧になることを嫌い、民衆の中にあり生涯修行と行脚に徹し、ここ、無量寺(廃寺)をはじめ、多くの寺院の建立や再興に努め、明和5年1768年松陰寺で遷化した。翌年、後桜町天皇から、神機獨妙禅師の名を賜っている。遺骨は、松陰寺と三島の龍澤寺とそして無量寺に分骨されている。
また、白隠禅師著作の荊叢毒蕊(けいそうどくづい)の中の無量寿禅寺草創記で竹取物語についても記しており、この地こそかぐや姫誕生の聖跡であると断定している。禅師が無量寺の再興に心血を注いだのもうなずけよう。
白隠禅師とその弟子たちや地域の人々の苦労により再興された無量寺も明治初年の神仏分離令により廃寺となってしまったが、今でも、白隠禅師やれきだいの和尚の墓塔群に当時の面影がしのばれる。
富士市教育委員会
としてありました。よく勉強してるなと思います。臨済禅のお寺の和尚さんが書いたように好意的です。今も地元で親しまれている証拠でしょう。
江戸時代に白隠禅師が建てた、無量寺ですが、
現在、寺の建物はありません。登ったり、降ったりのなだらかな小径が探索コースになっています。

公園は無量寺の境内跡なので、小径中ほどまで歩いて行くと、歴代和尚様のお墓がありました。白隠禅師のお墓は円錐形の立派なつくりでした。お参りさせて頂き、観世音体育を行い、最後に観音五観と四弘誓願をお唱えしました。これを白隠禅師が見ているとしたらどう思われたかな?
『よくもまあ。こんないい加減な解釈をしおって。やれやれ』と思われたかも知れませんね。(^^)
「延命十句観音経霊験記と夜船閑話のコラボから生まれた健康イノベーションが観世音体育です。」ハハハ。これじゃ言ってる自分でもわからないな。
白隠禅師の墓
開山神機独妙禅師(しんきどくみょうぜんじ)と刻まれています。
さて、そろそろ
No.12 五観の法・真観清浄観.後半
を始めましょうか。
観音五観とは、「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」というお経の後半部分の世尊偈(せそんげ)の中にある
真観清浄観(しんかんしょうじょうかん)
広大智慧観(こうだいちーえーかん)
悲観及慈観(ひーかんじゅうじーかん)
浄願常譫仰(じょうがんじょうせんごう)
の部分で表現されている、五つの観のことです。
一、真観
二、清浄観
三、広大智慧観
四、悲観
五、慈観
と切り分けてみるとなるほど五つの観が現れてきました。
真観とは何か?
清浄観の清浄とは?
ここではあえてそういったことはやめておきます。
せっかく短く、耳馴染みの良い観音五観にたどり着いたのにまたぞろ面倒な経文の解釈を始めるとなると訳が分からなくなってしまいます。
お経というのは、とても正直で、言葉にして唱えると、その時の心身の状態がたちどころに現れます。ごまかしようがありません。
観世音体育で行う気功体操の総仕上げが、この観音五観を唱えるというものです。
内観軟酥の気功体操の後、立ち姿勢のままに、両手は叉手の状態に戻します。観世音体育では常に延命十句観音経を唱えるとしてありますからあえて呼吸法には触れてきませんでした。
お経をしっかり唱えることが、そのまま満点の呼吸法だからです。
しかしながら、ここで初めて少し意識した呼吸法をしていただきたいと思います。
『荘子』内編に、"真人は踵で息をするが、普通の者は喉で息をする"とあります。
この踵を土踏まずあたりと捉えることもあります。本文中,足心(そくしん)と表されています。具体的には足首の関節運動を呼吸のリズムに合わせて行います。
私の剣道の師範、丸田雄生(まるたゆうせい)先生は剣道の最も大切な心得として、この踵での呼吸、リズムを体得することを厳しくご指導くださいました。
ただ、剣道も、同じだったのですが、白隠さんが言わんとした、重要な事は、踵の呼吸だけでは完成しません。
すべてを文字にしてしまう事の、無責任さを感じながら、この際すべてを語るとすれば、大事な事は腹(肚)を充実させることです。腹(肚)がいかにしたら充実するか?それはこの章にたどり着くまでに行ってきた観世音マーチと内観軟酥の気功体操を心ゆくまで行うことできっと実感することでしょう。
腹(肚)が充実してくると踵の呼吸が自然にできるようになります。ただし、
これはあくまで説明なので、何より自分でやってみましょう。
両脚は盤石(ばんじゃく)の上に踏ん張る不動明王の如く、太地をむしり取るほどに五本の指でがしっと噛(は)んで、
眼は、広目天の如くに、どこかに焦点を合わせてみるで無く、みないで無く、あえて言葉にすればそれは、はるか劫億の彼方を見据ているようだ。
両手は叉手して臍下丹田に添え、
息はまずゆっくりと鼻で吸って、口から吐きます。唇の隙間を息が抜けていくのを感じながら、細く長くゆっくりと吐いていく。
その時、まるで踵か土踏まずから息が抜けていくように観想します。
おいそれと踵で息をすることはできません。いきなり真人の境地に至る事は出来なくても、私たちは、私たちなりに、一歩、一歩前へ進んでいきましょう。
ある程度呼吸が落ち着いたところで次に移りましょう。
いよいよクライマックス。冒頭述べた
観音五感を唱える場面になる訳です。
夜船閑話の本文の中でも、白幽子はこの観音五感について語っています。
このくだりは、まさに内観軟酥の理想的境地を語っている部分です。
夜船閑話(やせんかんな)は、本文の序文ですごく重要なことがらが語られています。
〈この気海丹田、腰脚足心が我本来の面目である。その本来の面目はどのような面貌であるか。この気海丹田が我が本分の家郷である。その本分の家郷の消息はいかなるものか。この気海丹田が我が唯心の浄土である。その浄土はどのように荘厳されているか。この気海丹田が我が己身の弥陀である。己身の弥陀はいかなる法を説くのか〉
ここでいう"腰脚足心が我本来の面目"等々は、全部そのまま真観清浄観と言い換えて差し支え無いと思います。夜船閑話の文中でも白隠さんは白幽子の言葉として語っています。
<本文>
観は無観を以って正観とす。(中略)若し心炎意火(しんえんいくわ)を収めて丹田及び足心の間におかば、胸膈自然に清凉にし云々。是真観清浄観なり。
したがって、<この気海丹田云々>は言わずもがな腹(肚)にしっかりとした充実感を得て、踵、足心で呼吸する感覚が持てれば具体的に身体で表現していることになるのです。
自然(じねん)の波動との共鳴を、多くの先達が語っています。私たちも間違いなくその門口には立っているのです。迷わず続けてください。
これが、観世音体育のあらましです。No.1からNo,12までおつきあいいただきありがとうございました。
何回も読み直して、腑に落ちるまでやってみてください。
のべつまくなし、延命十句観音経を唱えに唱えて、行き着いたところにあったあった、
真観清浄観。
分かりました。ありがとう。白隠さんありがとう。これこそ延命十句観音経のご利益というものなのかもしれません。
文字だけだとわかりにくいですよね。
動画入れようか?
また考えます。(笑)
みなさんもやってください。観世音体育。
素晴らしいですよ。間違いありません。
真観清浄観
しんかんしょうじょうかん
広大智慧観
こうだいちえーかん
悲観及慈観
ひーかんじゅーじーかん
浄願常譫仰
じょうがんじょうせんごう
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『勇気とは自分を励ますこと』
妻の恩師だった、萩野浩基先生の言葉。
『辛い時こそ笑顔でいようと
今日までやってきました』
私の治療院に来てくださる女性患者様の言葉
『鳥は飛ばねばならぬ。人は生きねばならぬ』
横田南嶺老大師の言葉
勇気。泣き笑い。生きる。
みなさんのお言葉の中にある、音が観(み)えた様な気がします。観世音菩薩のお言葉の様な気がします。
ありがたいご縁に感謝です。
まだまだブログは続きますが今日はここまでです。
次回もご期待ください。
新型コロナウィルスに負けないようにしましょうね!
やたらくたろう 合掌